キリストの御手の中で

まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。。キリスト御手の中での歩みをあなたと。。。

キリストの御手の中で

こんにちわ~

「キリストの御手の中で」、今日からスタートします。

 

キリストの御手の中で

このブログのサブタイトル、「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます」、これは詩篇31篇6節からの引用です。

 

エス様の御手の中に身を任せること、実はこれが祝福されたクリスチャンライフの秘訣なんです。

苦しみの時、辛い時、イエス様の御手にただただ身をゆだね、自分じゃなく、イエス様にしていただく、この信仰がものすごく大切だということを実感していて、それでこのタイトルをつけることとしました。

 

 

自分の体験から

「イエス様の御手にゆだねる」

そう言われても、難しいなぁ~って思う人もいるかもしれませんね。

 

 

ゆだねようと努力していた時

ぼくもそうでした。

っていうより、自分ではゆだねていたつもりだったんですが、実際には全然ゆだねてなかったと言った方がいいのかもしれません。

 

頭ではゆだねることってわかってるんです。

だって、賛美にも「御手の中で♪」ってありますもんね。

 


御手の中で In His time

 

これを賛美する度にアーメンって思い、心から賛美してました。

でもね、実際には逆だったんですね。

 

良いクリスチャン、イエス様に喜ばれるクリスチャンになりたいっていう思いは強くあったんです。

でも、実際は全然で。。。

その度に自分の力で、がんばりでクリスチャンらしくなろうとしていました。

 

良いクリスチャンになろうとしていましたが、でも自分の内面はすごくよくわかっていました。

ぜんぜん乏しいなぁってね。。

それでも、周りからは立派なクリスチャンのように見られていました。

 

 

腰痛に襲われました

そういう中で、ある時、ものすごい腰痛になったんです。

歩くのも杖無しでは歩けないほどでした。

腰が痛いっていうより、腰から下全体です。

お尻の付け根からずーっと足先まで痛みとしびれがすごくありました。

 

歩いていると気持ち悪くなるし、なにより亀みたいにゆっくりゆっくりのスピードで、いっきにおじいちゃんになっちゃったのかなって感じるくらいでした。

杖に寄りかかってやっとゆっくり歩ける状態、そして座っていてもじわーっと痛くなり、もはや何も出来ない状態になっちゃったんです。

 

病院に行ってもわからず、大学病院で散々検査を受けたんだけど、まったくわかんなくて、最終的にはさじを投げられ、「お近くの整形外科に行って電機をかけてもらったら緩和するかも知れませんよ」って言われました。

 

 

腰痛の中でのみことばの学び

そんな中、寝たきりに近い状態で、何も出来ないこともあり、ゆっくりとみことばを学びなおしました。

そして、学んでいく中でわかったんです、如何に聖書を知らなかったのかということを。

 

聖書に書かれていることと逆のことをやってたり、イエス様よりも○○先生とか、海外から来た油注がれた器と言われていた人を通してイエス様を知ろうとしていたり、その人の書かれた本がまるで聖書のような状態でした。

だって、油注がれた器ですし、みことばに忠実だって信じてたんです。

 

でもね、それは間違っていました。

そして、怖いのは、聖書を学んでいく中で、その人の言っていたことはみことばと逆のことだったり、聖書に書いていないことまで、まるでそれが真理のように語られていて、それを実践していたことなんです。

 

みことばを学ぶ中で、そのことが示され、悔い改めました。

そして、わかったんです。油注がれた器を通しての信仰は間違っていたっていうことを。

人を通してじゃなくて、直接神様のところに行き、神様と交わること、それが大切だっていうことを。

 

ぼくの内にはいのちの御霊がおられ、このお方を通してイエス様と深い交わりを持つことが出来ます。

聖書は、クリスチャンの内にイエス様が幕屋を張ってお住まいになられているって書かれています。

だから、どこかの聖会に行って祈ってもらわなくても、その人よりも遙かに油注がれた方がぼくの内におられるんです。

 

そして、イエス様とぼくは一つとされています。

誤解しないでね、イエス様=自分っていう意味じゃ無いですよ、それは異端です。

そうじゃなくて、イエス様とぼくは一つに結ばれているんです。

っていうことは、イエス様は最高に油注がれたお方、だからぼくの内にも自動的にその油が注がれているんです。

 

ヤコブが晩年、神様と相撲をし、股のつがいが外され、杖によりかかって礼拝したように、ぼくもイエス様に寄りかかって、イエス様に依存すること、イエス様に身を任せようって思いました。

 

実際、腰がどうしようも無い状態で、杖に頼って行動していましので、それと同じで、イエス様に寄りかかり、依り頼んで歩んでいこうって決心したんです。

 

すると、なんと腰が治ったんです。

痛みが取れたんです、ハレルヤ!!

 

 

エス様の御手に身を任せていきたい

今、そのことを強く思わされています。

将来のことを考えると不安しかありません。

過去を振り返り、「何やって来たんだろう、俺」って思うことも多々あります。

 

でもね、過去も現在も未来もイエス様の御手の中でのことなんですよね。

だって、神様の許しが無かったら、悪魔も何も出来ないんですから。

すべては主の御手の中でのこと。

 

心が自分を責めてしまいそうになる度、いや、責めちゃう度にそこに立ち返らされています。

 

それでね、ブログもイエス様の御手の中でのことを分かち合いたいなぁって思ったんです。

 

 

そんなこともあり、「キリストの御手の中で」っていうタイトルにしました。

自由に、ゆるーーーーく、みことばの分かち合いとか、普段のこととか、いろいろシェアしていきます。

これからよろしくお願いします。

 

じゃぁねぇ~

 

イエス様との出会い

こんにちは~(^^♪ 

 

今日はぼくがどのような経緯でクリスチャンになったのかを書きますね。

 

キリストとの始めての出会い

ぼくが初めてイエス様と出会ったのは、小学校5年生の夏でした。

今もそうなんですが、毎年夏になると地元の海岸で花火大会が行われていました。

今はもう無理なんですが、当時、まだビルやマンションも建っていなかったので、家から花火が見えました。

なのでわざわざ海岸まで行かなかったんですが、その年、本当に不思議ですが、海岸まで花火を見に行ったんです。

 

で、海岸の入り口に着くと、入り口の付近で何かを配っている数人の人がいたんです。

ぼくは何だろ~って思いながら、入り口でその人たちから配っていたものをもらいました。

それは十数ページの小さな小冊子で、「イエス・キリスト」というタイトルでした。

花火が始まるまで、まだまだ時間があったので、浜辺にあった木材に座り、それを読んだんです。

 

それは本当に衝撃的でした。

それまでキリスト教のキの字も知りませんでした。

興味も関心もありませんでした。

だから余計だったのかもしれませんね。。。

 

薄暗くなってきた浜辺で読みながら、どんどんとその文章に引き寄せられました。

本当にビックリしました。

エス様っていうお方は何て凄いんだろう!!!

目の見えない人を見えるようにされ、歩けない人を歩けるようにされ、死んだ人を生き返らせた!

しかも十字架にまでかかられて!!!!

よ~~~し、オレ、クリスチャンになるぞ~~~!!!!


その時、本気でそう思ったんです。


そして数週間後、近くの教会に行くようになりました。

でもその当時、教会学校に対して誤解があり、教会学校は幼稚園児が行くところだと思っていました。

自分はもう小5、だから教会学校は関係ないと思い、何度か大人の方に誘われましたが断り、大人の方々が集う通常の礼拝に出席していました。

 

でも、今振り返ると面白いというかなんというか、よく「神様、仏様、御仏様~」ってありますよね。

ぼくは思ったんです、どうしてそこにイエス様はおられないんだろうってね。

だからお祈りする時、「神様、仏様、御仏様、イエス様~」ってお祈りしていました。


もちろん、今はそんな祈り絶対にしませんけどね(#^.^#)

 

 

神様から心が離れていく

そんなこんなでしたが、半年、一年と経つと、段々と教会から足が遠のいていきました。

そして中学に入ると、もう全く教会に行かなくなったんです。

 

中学に入ると環境も変わり、自分がわからなくなってしまいました。

いじめにも遭いました。。。

そしてついにクラッシュし、不登校をするようになったのです。

 

本当に空しかったです。

たばこを吸いました、お酒も飲みました。

でも全く満たされません。

 

中3になると学校には行くようになりました。

でも、心そこにあらずでした。

空しくて、いつも教室の外を見て、外の自由の世界にあこがれていました。

全てが空しかったです。

 

 

人生を変える大事件

さて、中3の冬の頃のことです。

ぼくにとって人生を変える大事件が起こりました。

その日は確か日曜日でした。

普段ならお昼頃に起きるのですが、その日は不思議と朝早く目覚めてしまいました。

で、何の気なしにテレビを付けたんです。

もちろんバラエティー番組が見たくて、何か面白い番組ないかなぁ~~ってね。

 

で、番組を幾つか変えたら、何とキリスト教の番組がやっていたんです。

これも不思議なんですが、その時、番組を変える手が止まり、懐かしいなぁ~って思いながら、その番組を見入っていたんです。

その番組は海外の公開番組で、ショーアップされた番組でした。

 

で、その番組の中で盛んに言っていたのは、「あなたは愛されています」

賛美があり、その賛美のテーマも「あなたは愛されています」です。

CMもあり、それも「あなたは愛されています」

通常のキリスト教の集会と同じで、賛美が献げられ、そしてメッセージに入りました。

 

テレビ牧師の方が出て来て、そしてメッセージをされました。

そのテーマもやっぱり「あなたは愛されています」でした。


メッセージの中で、「あなたは愛されています。あなたのためにイエス様は十字架にかかられたのです」というようなことを話されていました。

 

ぼくね、その時はっきりと、明確にわかったんです。

ぼくの内には罪があるってね。

だって、不登校もしたし、お酒やたばこの吸ったし、親を悲しませたし。。。

逃れられないことです。

 

ぼくは罪人だって深く受けとめました。

そして同時にイエス様の十字架と復活もはっきりわかったんです。

やっぱりあの小学校5年生の夏の時の下地があったんでしょうね。

主はそうやってぼくをずっと愛され、捕らえられていたんですね。

 

ぼくのためにイエス様が十字架にかかられ、3日目に甦られ、天におられるとはっきりと信じ受け入れました。

エス様を信じ、クリスチャンになりたいって真剣に思いました。

 

メッセージを聴きながら、ポローっと涙が流れてきました。


番組も終盤になり、メッセージの最後で、「もし今イエス様を信じたいと思われた方は手を上げてください。テレビの前のあなたもです」って言われました。

ぼくは涙を流しながら、はーいって手を上げたんです。


そしてテレビ牧師の方が言われました、私の後について一緒にお祈りしてくださいって。

ぼくは「イエス様」って言われたら、その後で「イエス様」ってテレビの前で声に出してお祈りしました。

 

 

キリストを信じ受け入れた瞬間

番組が終わったとき、あぁ、救われたんだって思いました。

ぼくはイエス様に愛されている、ぼくのために十字架にかかれたイエス様、って心から思いました。

そして本当に変わったんです。


当時日曜日はお昼まで寝ていたんですが、翌週からは前日の土曜日は夜の8時には寝て、朝5時前には起きてそわそわしていました。

テレビガイドを買って、キリスト教の番組をチェックして、全てのキリスト教番組を見ていました。

かつて好きだったものが嫌いになりました。

逆に嫌いだったものが好きになりました。

 

 

クリスチャンとなって、今は。。。

今も全くそれは変わりません。

エス様を信じてクリスチャンになってから、一度もぐらついたり疑ったことはありません。


エス様はぼくの宝であり、ぼくのすべてのすべてです。

ただただ主に感謝です。

 

☆ ハレルヤ、主よ 感謝します☆

 

はじめまして~

はじめまして、こんにちは~(^^♪

みのんと言います。

 

これから、はてなブログでいろいろと書いていきたいと思ってます。

 はじめに、ぼくはクリスチャンで、毎週日曜日には教会に行っています。

 聖書を読み、イエス様と交わることを喜びとしています。

  

このブログ、自由に主に導かれるままに書いていきたいです♪

やっぱ、楽しまなくちゃ、続かないですもんね☆

力を抜いて、主を味わい、楽しみ、それをブログにも書ければなぁ~なんて思ってます。

 

で、ぼく自身のことですが、神奈川県の湘南地域に住んでいます。

海が好き、山が好き、自然が好きです。

カメラ片手に、自然の中にいることが大好きです。

あと、温泉も好きです♨

それと、美味しいものを食べることも好きです♡

 

そんなこんなですが、これからどうぞよろしくお願いします。

 

でわでわ~(@^^)/~~~