キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

主が共におられるから

こんにちわ

 

今日はというか、今日もとってもとっても寒い一日でした。

冬真っ盛り、ほんと、風邪ひかないように気をつけなくちゃですね。

 

ヨセフを通して

 

さてさて、今、旧約聖書の創世記のヨセフの話を味わっています。

思わず「ヨセフ物語」って書こうとしましたが、この創世記に出て来るお話、全部架空の話じゃ無くて、実話です。

 

よく「ヨセフ物語」とか言う人がいますが、どうも小説みたいな響きがして、あんまり好きな表現じゃないです。

 

ヨセフの歩み

さてさて、このヨセフの話、ほんとうに多くのことを教えられます。

ヤコブはヨセフのことをとても愛していました。

それはヨセフの最愛の妻ラケルが産んだ子どもだからです。

だからヤコブは他の子ども以上にヨセフのことを愛しました。

 

でも、そのためにヨセフ以外の兄弟から嫉まれ、憎まれました。

 

そんなある日、ヨセフは夢を見ました。

それは、ヨセフが畑で束を作っていたら、なんと突然、自分の束が起き上がり、自分の兄弟の束がヨセフの束の周りに来て、その束に伏し拝んだという内容でした。

 

ヨセフはそのことを兄弟に率直に伝えたところ、彼らにその意味はわかり、自分たちがヨセフを伏し拝むんだって理解したのです。

それで怒りも頂点に達し、ある日、父であるヤコブの命令で、お兄さんたちを見に行ったところ、なんと兄弟たちはヨセフの豪華な服を脱がせ、全裸にして、穴に突き落としたんです。

そして、そこを通ったミディアン人の商人がヨセフを連れて行き、銀20枚でイシュマエル人に売り、エジプトへとヨセフを連れて行ったんです。

 

ヨセフはそこでポティファルという人に買い取られました。

ヨセフはそこで忠実に働き、神様はヨセフのやることなすことすべてを祝福されたので、なんと主人のポティファルはヨセフに全財産を任せるようになったんです。

ヨセフはそれだけ信頼のおける男に成長しました。

 

ところがやっかいなのはポティファルの奥さん。彼女はヨセフを気に入り、誘惑するようになったんです。

そしてある日ある時、なんと彼女はヨセフに「私と寝ましょう」って誘惑してきたんです。

ヨセフは逃げたんですが、そのとき、彼女はヨセフの上着を掴んでいたので、彼女の手に上着を置いてヨセフは逃げました。

 

ポティファルの奥さん、なんと逆ギレし、嘘の報告をポティファルにしたんです。

ヨセフが彼女を犯そうとしたって。

最低ですね。。。

 

そしてヨセフは可愛そうに、監獄に入れられました。

 

詩篇105篇18~19節を見ると、こうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆

彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った。

彼のことばがそのとおりになる時まで、【主】のことばは彼を試した。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

ヨセフの苦しみ、本当に本当に辛かったでしょうね。。。

試練なんていうもんじゃないですよね。

 

試練の中でのヨセフの心

でもね、すごいなって思うのは、ヨセフは酷いことをされた兄たちの批判をしたり、こういう羽目になった原因であるポティファルの奥さんのことを恨んだり、一切していません。

それどころか、ヨセフはその状況の中で神様を信頼していました。

 

ヨセフは、自分が見た夢が必ず実現するんだっていう信仰を持っていました。

そして神様がともにおられるという確信が、ヨセフを支えていたんです。

 

 

創世記39章21~23にはこうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆

しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。

それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。

ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、「主」がそれを成功させてくださったからである。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

 

【主】はヨセフとともにおられ」「それは【主】が彼とともにおられ。。。

ヨセフがこの状況の中で精神状態をキープさせることが出来たのは、まさにこれなんですよね。

 

ぼく自身、つくづく思わされますが、今の状況、しょうじき苦しいです。

混乱したり、「あの時ああやっておけば。。。」って心が痛く悲しくなることも多々あります。

そして「なんでやんなかったんだ!」って自分で自分を責めたり、将来への不安でいっぱいになったり。。。

 

でもね、ヨセフはそうじゃないんですよね。

彼の心の中心は「主が共におられる」ということです。

そして、試練を通して神様はヨセフのこの信仰を益々強められました。

 

主が共におられる

「主が共におられる」

この理解、この信仰、ぼくたちもまた必要です。

ぼくたちの芯の部分にこれががっちりと立っているなら、試練があっても、そのことで翻弄される必要はないです。

 

主が共におられる。

そう、主が共におられるから、主は常に良いお方だから大丈夫。

主の御手に信頼し、その試練の中で共におられる主を見上げること、これなんですよね。

 

ヨセフは後にエジプト全体を支配する地位、王様であるファラオの次の位にまで上り詰めました。

でも、そのために必要なのが実はこの試練なんです。

 

主が共におられる。

今の苦しみの中で、このみことばにしっかりと立っていられますように。

今は忍耐の時。神様の時を待ち望み、共におられる主の優しい御手の中に留まり、今与えられていることを行っていく。

この2月、この歩みをしていくことができますように。。。

 

じゃぁね