キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

神様の見えざる手の中で。。。

こんにちわ~

ふぅ、無事今日も終わりです。

 今日も一日、主の御手に支えられ、守られ、本当に感謝です。

 

昨日なんですが、お出かけ中の一コマ、写真撮ったのでシェアしますね。

こちらです。
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この風景、川と、その先に電車が走る鉄橋と山。

いつ見てもホッとし、癒される景色です。

 

そして、道を歩いてると紫陽花が咲いてました。
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もう紫陽花の季節ですね。

今週末あたり、紫陽花を見にお出かけしようと思ってるんですが、その前に見れました。

これ、沢山の紫陽花みたいに見えますが、実際は道端にほんの僅かの紫陽花が咲いていて、それを撮ったんです。

 

で、その紫陽花の中で珍しい紫陽花発見☆

これ、何に見えますか?
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ハートに見えませんか?

ハートだって思い、思わずパシャリ。

やっぱ自然はいいですね。とっても癒やされました。

 とっても綺麗で癒されました。

 

 

さてさて、話は変わりますが、昨日の礼拝のシェアします☆

旧約聖書のルツ記を味わいました。

 

ルツ記を通して

 ルツ記とは?

まずはルツ記について書きますね。

ルツ記なんですが、

まだイスラエルには王がいない時代で、めいめいが自分の正しいと見えることを行っていた時代です。

つまり、士師記の時代の延長です。

 

そんな時、イスラエルに飢饉がやってきました。

そこで、ユダのベツレヘムに住んでいたエリメレクは、奥さんのナオミと二人の息子を連れてモアブの地に行きました。

そして月日を経て、二人の息子はモアブ人を自分の妻としました。

 

さて、ナオミの夫のエリメレクと二人の息子は亡くなり、ナオミと二人の息子の妻が残りました。

息子の奥さんの名前はオルパとルツです。

 

ナオミは実家のベツレヘムに帰ることに決めました。

で、問題は二人の息子の嫁、彼女たちを連れて行くのは違うなって感じ、それを彼女たちに告げました。

オルパはそれに応じてモアブの地に残りました。

でも、ルツはナオミと行動を共にするって、ナオミについていくこととしました。

 

このルツ、本当に素敵な女性で、夫を愛し、夫の親であるナオミを愛し、たとえ夫が亡くなっても、姑を大切にし続け、夫や義理の両親を通してでしょうね、イスラエルで神様を自分の主として信じ受け入れてました。

 

こうしてナオミとルツはベツレヘムの地に帰ったのです。

ルツはベツレヘムの地でも姑のナオミに仕え、畑に出て落ち穂を拾うことにしました。

というのも、律法で収穫の時に地に落ちた収穫物は貧しい人が拾ってもいいことになっていたからです。

 

そのルツの歩みがルツ記の内容です。

 

 

ルツ記の中での重要なみことば:はからずも

さて、このルツ記の中でとっても大切なみことばがあります。

ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
ルツ記 2章 3節

「はからずも」ってありますね。

ルツは落ち穂を拾いに行って、借り入れをする人の後について落ち穂を拾ったんですが、なんとその畑がボアズが所有する畑だったんです。

 

ボアズについて

このボアズなんですが、姑ナオミの夫エリメレクの親戚に当たる人だったんです。

そして、このボアズには買い戻しの権利があったんです。

 

買い戻しとは?

この「買い戻しの権利」なんですが、エジプトを脱出した後、イスラエルの民が約束の地であるカナンの地に入植したとき、部族氏族に土地が分配されました。しかし生活する中で貧富の差が出てくるケースがあり、その中で自分の土地を売らなければ鳴らないことも出てきました。

その時に親族がその土地を買い戻さなければならない(レビ25;25)と神様が命じられたんです。

その買い戻しの権利を持っていたのがボアズだったんです。

 

 

さて、そうとは知らず、ボアズの畑で落ち穂拾いをしたルツ。

聖書はそのことを「はからずも」って言ってます。

「はからずも」って、まるでたまたまとか、偶然っていうイメージがありますが、これはぼくらの側から見たから「はからずも」なんです。

 

でも実際は全く違います。

神様は最初からルツがボアズの畑に行くように計画されていて、そのように導かれたんです。

そう、神様の見えない手の中で、神様は最高のコーディネートをされたんです。

現に、最終的にボアズがエリメレクの土地を買い戻し、ボアズはルツと結ばれ結婚しました。

ユダヤ教の伝承では、その時ボアズは80歳、ルツは40歳であったそうです。

そして、ボアズとルツの間に子供が出来、なんとその子孫がダビデであり、救い主イエス様なんです。

これが神様の見えざる手の中でのことなんです。

 

神様の見えざる手

ぼくたちの人生の中には偶然やたまたまはありません。

その背後には神様の見えざる手があるんです。

これを専門用語で「摂理」といいます。

偶然と思ったり、「ラッキー♪」って思うのは、それを知らないぼくたちが勝手に思い込んでるだけなんです。

 

ぼくたちの人生は神様の見えざる手に握られ、今も導かれ、コーディネートしてくださってるんです。

全ての出会い、所有、出来事は神様の摂理の中でのことで、神様がぼくたちに必要なものとして与えてくださったことです。

だから、思うんですが、クリスチャンは「ラッキー」都下「アンラッキー」って言うんじゃなく、与え導かれた神様の見えざる手に感謝するべきなんじゃないのかなって思います。

 

神様の見えざる手の中での生き方

神様の見えざる手、この手に信頼し、委ねていきたいですね。

これからどんなことが用意されているのか。

どんな出会いが用意されているのか。

結婚のことも祈ってるし、全ての必要のためにも祈ってるし、でも、それは神様の御手の中で、神様の時に導かれるんですよね。

あのボアズとルツのように。

 

主の見えざる手に信頼し、今与えられてることに忠実でありたいですね。

キリストの弟子として。。。

 

そんなこんなな日曜日でした。

今週も主の見えざる手の中でのこと。

主の優しい御手の中に身を委ねつつ。。。

 

じゃぁね