ぜんぶ神様から
こんにちわ
ずいぶんとお久しぶりです。
気づいてみたら8月、このところバタバタしててというか、実際の忙しさというよりも精神的な慌ただしさ、まっ、はっきりいうと心が落ち着かず、気づいてみたら8月も半分過ぎちゃってました
でね、ブログ、書きたいな書きたいなって思ってたんですが、なかなか書けず。。。
うーーーーん
やっぱ気持ちって大きいですね。
ということで、ブログ復活です。
これからまた導かれるまま、ゆるーーーーく書いていこうと思ってます。
ぜひぜひ仲良くしてくださいね。
さてさて、話は変わりますが、みことばの分かち合いします。
旧約聖書の歴代誌第一29章14節にこう書かれています。
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私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
このように自ら進んで献げる地下rを持っているとしても、私は何者なのでしょう。
私の民は何者なのでしょう。
すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。
歴代誌第一29:13~14
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このみことばを味わいながらね、あぁ、ほんとそうだなぁって思ったんです。
だってね、ぼくたちが持っているもの、ぼくたちがやってきたこと、成功したと思ったこと、すべての知恵はみーーーーーんなぼくたちが自分で作り出したり獲得したものじゃないんです。
ぼくたちは「努力のたまもの」とか「努力、がんばりによって報われた」とか、そういう言葉を使うけど、でもね、それらはぜーーーんぶ、実は違うんです。
すべてのこと、すべてのものはぜーーーーーんぶ神様から出たんであって、ぼくたちは神様の御手から出たものをもって必要を満たし、それを感謝し、神様にその恵みを献げ、礼拝してるんです。
まさにこのみことばそのものですよね。
つまりね、神様から頂いたものをお返ししているに過ぎないんです。
そのことがわかると、すごくへりくだらされますね。
だって、何一つぼくの手によってしたんじゃないんですからね。
そう、すべての必要は神様の御手の中にあり、その御手から頂いているんです。
そして、ぼくらはその恵みを感謝し、自分の手柄にするんじゃなく、神様から与えられ、その恵みによって生かされているんだっていうことを自覚することなんですよね。
そんなことを思わされたんです。
ほんと、いつもそのことを覚え、感謝する歩みでありたいですね。
傲慢になったり、自分の力でとか思うことなく、神様から与えられている恵みを感謝する歩みをね。
そんなこんなですが、これからよろしくお願いします
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
じゃぁね