梅雨空を見上げながら
こんにちわ
今日は雑談です。
梅雨真っ盛り、毎日毎日、重~~~くて灰色の雲に覆われて、なんかうんざり。
それもあと一週間の辛抱。
きっと来週には梅雨も明けてくれると思います。
そんな梅雨の日、癒やしてくれるものと言えば。。。。
そう、紫陽花です。
ちょっと時期的には遅くて、リアルはもうピークも過ぎちゃってるんですが、
先月末、紫陽花を見に行ったので、それをシェアしますね。
ピンク色の紫陽花、色も濃く、とっても綺麗でした。
紫の紫陽花も綺麗でした。
紫の紫陽花のアップです。
紫陽花、綺麗ですよね。
ほんと、おもしろいなぁって思うんです。
だってね、ジメジメして鬱陶しい梅雨の時期に紫陽花って咲くんですからね。
しかも、紫陽花って雨に似合う花なんですよね。
なんかね、神様の優しさを感じるんです。
神様はそうやって私たちを喜ばせてくださってるんですよね。
そして、自然を見ていると、その自然を造られた神様の偉大さが伝わってきます。
どんなアーチストも自然の素晴らしさにはかなわないし、真似することすら出来ませんよね。
自然の前には、人間の小ささと、それと共に自然を通してご自身を現しておられる神様の優しさを感じ、ホッとします。
あぁ、自然ってほんと、いいですよね。
そして、そうこうしている内に梅雨明け間近なんです。
でもこの梅雨の重々しい灰色の雲に覆われると、心まで重くなります。
疲れるし、気持ち的にも重いなぁって感じることがあります。
でも、この重々しい雲だけを見てるとはぁってなるけど、でもね、この雲の裏って知ってますか?
変わることの無い明るい青空なんですよ。
だって、太陽は雲の裏にあって光を照らしてますからね。
でも、重々しい雲だけを見てると、この灰色の世界がすべてみたいな間隔になります。
クリスチャンライフって、これと同じような気がするんです。
目の前の状況とか、先々の予想とか、自分の置かれた現状とか、そういう部分を見ていると、不安に押しつぶされそうになります。
ぼくにとっても、これは大きな大きな戦いです。
でもね、そういう時は天を見上げるようにするんです。
だってね、神様に不可能はないし、目の前の現実じゃなくて、神様の現実を見ると、恐れることなんて何にもないんだなって感じるんです。
だってね、どんな暗闇であろうと、神様はそこに光を照らすお方だし、神様の計画は大きいし、必ず神様の計画がなるんですからね。
イエス様を見上げること、これなんですよね。
ヘブル人への手紙12章2節にこうあります。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。
この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架をしのび、神の御座の右に着座されたのです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
いつもイエス様を見上げていきたいです。
サタンはぼくの心に、重々しい雲に覆われた今の状態みたいに、今の目に見える現状を見せ、「もう遅いんだぞ」とか「今更駄目だ」とか「お前は駄目だ」と囁いてきます。
でもそれはサタンの偽りの声なんです。
イエス様は今、天におられる父なる神様の右の座に着座され、一緒に苦しまれ、一緒に涙してくださり、ぼくのためにとりなし祈っていてくださっている。
このお方を見つめると、そこに平安と希望があります。
そう、恐れることなんか何にもないし、主を信じ、主に信頼し、聖霊様の導きに従っていけばいんです。
恐れることは何にもないんです。
ハレルヤ\(^O^)/
そんなことをこの梅雨空を見上げながら、思い巡らしています。
今週もイエス様を一心に見つめ、イエス様に信頼し、イエス様に従っていきましょうね。
キリストの愛を込めて。。。
じゃぁね