キリストのからだを建て上げよう!
こんにちわ
今日はとっても励まされた文章があるので、それを分かち合いたいと思います。
「キリストのからだ」っていう感動の内容です。
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キリストのからだ
事故で片手を失ってからというものまる1年、ジェミーという女の子は、学校にも教会にも行こうとはしませんでした。
けれども、ようやく彼女も友だちに顔を合わせてもいいという気になりました。
母親は日曜学校の先生に前もって電話し、ジェミーが失った手のことを意識しなくてすむように頼みました。先生は約束しましたが、あいにくその日曜日、病気になり、代理の先生に頼んだのです。
ところが、ジェミーのことを伝えるのを忘れてしまいました。その日は、友だちを教会に誘おうという話で、代理の先生は最後に、おなじみのジェスチャーつきの詩をみんなでやろうと言いました。
(両手を頭の上で合わせて塔の形にして)「これが教会」
(両手の指をぱっと広げて)「これがみんな」(合わせた両手を大きく広げて)「扉を開いてみんなに会おう!」
ジェミーの目に涙があふれました。
ジェミーの気持ちを察した13歳の男の子は彼女のかたわらにひざまずき、自分の片手をジェミーのなくなった片手の代わりにして、ふたりで一つのジェスチャーを作ったのです。教会、塔、みんな、こうしてふたりは、真の教会とはどんなものか、みごとに示してくれたのでした。
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このお話を読んだ後、第一コリント12章26節を改めて読みました。
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一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
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私たち救われたクリスチャンは教会です。
○○教会とか関係無く、救われた一人一人はキリストの教会のメンバーなんです。
そしてこの教会はキリストのからだであり、からだの器官はすべて大切です。
弱い部分は他の部分が補い合い、そうやってキリストの教会は建て上げられていくんです。
からだの一つの器官が傷を負って痛かったら、からだ全体が苦しく痛いです。
それと同じように、ぼくたちクリスチャンも助け合い、励まし合い、お互いの弱さを補い合い、祈り合う、これが本当に大切なんですよね。
この13歳の男の子の行為、これこそぼくたちクリスチャンのあるべき姿なんですよね。
ひとつの賛美が心に響きました。
イエスが愛したように - 長沢崇史 (cover by Kenta)
新約聖書のヨハネの福音書13章34~35節にこうあります。
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わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。
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私たちクリスチャンに与えられているキリストの律法、イエス様の戒め、その中心は「互いに愛し合いなさい」
そしてそれは自分の愛じゃなくて、イエス様が私たちを愛してくださったその愛で。
そんなの無理~~~!!!!!
そう、ぼくたちの内にある愛は罪で汚染された愛だもんね。
でもね、そのぼくたちの内にいますお方はだれでしょう?
そう、イエス様です。
だからね、ぼくたちを通してイエス様の愛を流し合うことなんです。
キリストのからだを建て上げるため、お互いの弱さを補い合い、励まし、慰め、祈り合う。
あの13歳の男の子のようにね。
そしてその中心は「互いに愛し合うこと」です。
みーーんな、弱さがあります。
弱さなんかない、完璧だ!っていう人なんて一人もいません。
ある人は涙を流し、ある人はその痛みに耐えています。
ぼくたちは同じキリストのからだである愛する兄弟姉妹を愛し、助け合い、慰め合い、祈り合うこと、そうありたいですね。
そうやってキリストのからだは建て上げられていくのですから。。。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
じゃぁね