クリスマスの恵みを喜び感謝しよう!
こんにちわ
前回の記事から4日も経ってしまいました(^_^;
ブログをどうしようといろいろと思い巡らし、祈りの内に考えていたんですが、このブログをメインで書いていこうという結論に達しました。
このブログは自由に、聖霊の導きにお任せし、導かれるままに書いていこうと思ってます。
ゆる~~くね。
なので、まとまりがないように感じるかもしれませんが、そこは大目に見てくださいね。
これからどうぞよろしくお願いします。
クリスマスの恵み
今月は今年最後の月である12月。
12月といえば、そう、クリスマスですよね。
教会でもアドベントに入り、クリスマス色が大分強くなっていることでしょうね。
準備などもありますしね。
でね、このクリスマスについて思い巡らしているんですが、クリスマスについて考えていることと、ほぼ同じことが歌詞になってる賛美を最近見つけました。
これです。
これ、本当に的を得ているし、ほんとうにそうだなぁって実感します。
この地に誕生されたイエス様
イエス様は神様です。
そのお方が神であること、その栄光、その権威をすべて捨てて、罪にまみれたこの地に来てくださいました。
しかも王宮とかにお生まれになったんじゃないんです。
ベツレヘムって、はっきり言ってどいなかです。
しかもメイドさんがいて、綺麗なベッドの上で万全の状態でお生まれになったんじゃなく、家畜小屋に、しかもそのベッドはふかふかなお布団じゃなく、家畜の餌を入れる飼い葉桶に寝かされたんです。
そして、赤ちゃんのイエス様が巻かれた布は、なんと死体を巻くための布なんです。
そう、生まれた時から、死を暗示していました。
イエス様は何のために生まれたのか
イエス様は私たちの罪を取り除き、自由にするために、ご自身が犠牲の捧げ物になるためにこの地に来られました。
しかも、神としての権威も栄光も力も何もかもお捨てになって、制限のある状態で、罪にまみれたこの地にお生まれになったんです。
そう、私たちのために死ぬために生まれたんです。
イエス様は私たちの罪を全部背負い、ご自身の身にすべて負い、犠牲の捧げ物として十字架につけられました。
そして、十字架上で亡くなり、お墓に葬られました。
そして、三日目によみがえり、500人以上の人に現れ、天に上げられました。
イエス様は今も生きて、大祭司として私たちのために今、とりなし祈ってくださっています。
もしイエス様がお生まれにならなかったら
ぼくはこのことを信じたとき、本当に自由にされました。
もしイエス様がお生まれにならなかったら、この地に来てくださらなかったら、生かされている喜びを得ることはなかったと思います。
歌詞の中に「主が生まれなかったら、喜びがあるだろうか」というフレーズがありますが、本当にそうです。
絶望的な人生だったと思います。
ぼくが今生かされているのは、イエス様のおかげだし、ぼくにとってイエス様がすべてです。
イエス様はぼくを愛していてくださっているし、ぼくの罪を全部取り除くために、罪の奴隷状態であったぼくを解放するためにこの地に来られ、人の子としてお生まれになり、十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえられ、今、天でぼくのためにとりなし祈っていてくださっているんです。
ぼくはイエス様に愛されているし、ぼくもイエス様を心から愛しています。
これ以上の恵みはありません。
ぼくはイエス様のものです。ハレルヤ!
イエス様のご降誕を喜び感謝するクリスマスを
このクリスマス、本当の意味でイエス様のご降誕を喜び感謝する日としたいですね。
そして今月一ヶ月、この恵みを味わう月となりますように☆
そして、この本当に素晴らしいプレゼントを一人でも多くの方に、このクリスマス、受け取ってほしいです。
お互いにこの最高の恵みを感謝する月とし、イエス様との愛の交わりを楽しみましょうね。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
じゃぁね(@^^)/~~~